〜 Like a journey 〜

旅するエッセイといろいろ

海外旅行で失敗しないようにする方法

 

今まで行った旅先は、国内の北は北海道、南は長崎。あとは韓国、台湾、インドネシア、フィリピン、イギリス、スペイン。「沖繩に行ったことがないの」と言うと、大体の人に驚かれる。それで今年の夏休みは沖繩にすることにしたので、いそいそと調べて予約を開始してるところ。

 

旅行では代理店のパッケージツアーを組まずに、旅券・ホテル・移動手段・観光先の利用方法を全て”自力で手配する”ことに全力を注いでいる、といってもいいかもしれない。いかに安く、時間体力に無駄がなく、目的を全て達成できるかを考えながら調べていると、気が付いたら半日経ってたりする。片想い中のような未知のトキメキを胸に抱えながら、純粋に幸せな気分に浸り続けてるかんじ。

 

でもせっかく時間もお金も使って、しかも極上のトキメキと共に向かうのに、とんでもない災難に遭いたくない!といつも思っているので、リスクヘッジに対するこだわりが強すぎるという部分もあると思う。よく、海外に初めて行くんだけど何を気をつけてる?とか、女一人怖くない?とか、旅行の荷物少なくない?とか聞かれて、返事が面白いと言われるので書いてみる。すごくシンプルなことだと思う。

 

・常に早歩き:1人の場合

・服は現地調達:行きの荷物が減る

・現地人に紛れ込む:ダメージジーンズにTシャツ、グラサン、小さいショルダーバッグ、フラットシューズスタイル。結構ダサい。

・スーツケースのスペアキーをジーンズのベルト穴に引っ掛ける:万が一金品取られても帰れる。その他必要なものは必ず身体と繋げる。「もしも野生の熊に遭遇したら」というスタンス。

・トランジットがある場合は到着から次の便まで1時間以上あける:オランダで空港を大爆走したことがあって、荷物は後で届きましたがバゲージロストになる危険度がかなり高い。お土産が一気になくなったら嫌だ。

 

 

こんなところ...。「モノは消えるかもしれないけれど、心と身体は帰る」と肝に銘じて、その時間を楽しみ、なくなっても後悔しないようなモノ・お金を持っていく。

 

どんどん身軽になって、目と舌と心で冒険するようになると、旅する本当の目的が浮き出てきたりする。あのときの会話、景色、風や気温、広がる色彩、歴史の鼓動.....。不思議と鮮明に残ってる記憶というのは、私たちがまだ何も知らず、とても小さい土地の中を動き回って泣き笑いしているだけなのだという証拠で、帰ってきてから自分がちょっと違う人間に見えたりする。普段の景色やニュースも手から離れているように感じて、改めて日本人の感覚を自ら取り戻しに行くような日々が始まる。ここは本当に自分の暮らす土地なのか?これからどうやって暮らそうか?

 

この国と、そこに暮らす自分という人間の新しい部分を知って、こうしてまた、知らない世界に足を踏み入れたくなるのだ。

 

 

イギリスで「揚げ豆腐」が通じた話

 

高校時代の夏の間、イギリスのケンブリッジに滞在していた時のくだらない話だけれども、一緒に語学学校に通っていた同級生二人と、休日にオックスフォードまで行こうということで街へ繰り出た。観光用のバス地図を広げて、山手線みたいに周回してそうだから多分これでいいでしょう、という軽い感じでバスに乗った。

 

たかがバス、されど海外のバス。やっぱり事件が起きた。すでに座席は満席で、自分たちは吊革に捕まって景色を楽しんでいると、目の前に座っていたアジア系の生徒たちが(恐らく留学生だったと思う)ニヤつきながらナンパしてきたのだ。連絡先を教えてくれだの、この後一緒に食事に行こうだのと誘ってくる。あまりに急に個人情報を抜き取ろうとするのでカチンときて、「私たちはこの国の文化と語学を学ぶために来ているわけで、あなたたちの相手をしている暇はない!」と比較的大きな声で口論して、なんと勝利した。私にはこんな爆発力があるのかと自分でも驚いたのと同時に、誰かが「外国語で喧嘩ができたら身についた証拠だ」と言ってたのを思い出して、心の中で密かにガッツした。3人で乗っていたので、乗客の眼に私はジャイアンのように写ったに違いない。

 

ふう、と安心したのも束の間のことだった。バスがなぜか大きな橋を渡ろうとしている。地図には川なんて無かったし、そもそも陸と陸を横断するような土地に目的地はない!焦ってきょろきょろしても、日本の最新型バスにあるような電光板がない。路線図も貼ってない。ここはどこですか?と聞いたところで知らない場所なので意味がない。2人は地図を見直す。川が見える。橋は迫る。私はどうする。

 

少しバスの速度が落ちたところで、もうここ絶対間違ってるよね、と見切りをつけて「エクスキューズミー、揚げ豆腐!」と手を挙げてみた。バスがゆっくり止まリ出した。

 

急いで運転席側の降り口まで移動すると、ここはバス停じゃないんだけど、と運転手が困っていた。事情を説明すると仕方なさげにバスを止めて降ろしてくれた。危機一髪、「降ります」と伝えるのに”I want”じゃないし”I have to”でもないし...と焦って目まぐるしく考えた結果、当時の英語の先生が楽しそうに小ネタとして教えてくれた「揚げ豆腐」を思い出したのだ。ーー I get off. そんな、ここへ来て実践で使うとは。しかも皮肉なことに、普通に通じた。

 

今思えばどうして周りの乗客に「このバスはこのままオックスフォードに行きますか?」と聞かなかったのだろうと不思議だが、向こう岸が遠いほどの太さの川が迫ってきたことが、映画「24」のように切迫していたんだと思う。喧嘩したり、音だけで覚えた言葉が使えたりしてしまったために、一生懸命ペーパーテストの点数を稼ごうとしている日本での真面目な生活ってなんだろうな、と変な感じに脱力した。

 

目の前のあなたに伝えたい

 

16歳の時、イギリスのケンブリッジという街に数週間滞在した。高校の短期留学プログラムに参加するためだ。

 

ラテン系イギリス人のホストファミリーに迎え入れてもらった。広々とした2階建ての家にはシャワールームが3つあり、他にもオーストリアポーランド、イタリアからの留学生がステイしていた。生まれて初めての海外渡航で時差ボケに見事にはまり、部屋に荷物を置いたままベッドの上で気絶するように寝てしまった。というのも、その辺りの記憶が全くないのだ。ホストマザーが起こしてくれた時には既に夜の19時を回っていて、イギリスの夏はこの時間でも昼間のように明るく、「夕食だ」と言われてもいまいちピンとこなない。

 

”イギリス料理は期待するな”とか、”ティータイムなんて高齢者しかしない”とか、日本を出る前に調べたら、食に関する情報は酷いものだった。確かにロンドンに着いてからすぐに訪れたレストランのケーキは、パイ生地の層に甘すぎるクリームとチョコソースがたっぷりと挟まれ、中には砕かれた飴が入っていて驚愕した。

 

そんなこともあって、ホストマザーが作る手料理にも少し警戒していたが、出てきたのはサーモンのクリームパスタ。パスタは太めで、柔らかいサーモンがふんだんに入っていてとても美味しく、味付けに問題はなかった。だだし、日本で食べる時の2倍近くいある量と大皿だという事実を除いて。

 

他の留学生たちと、3歳と6歳の子供達がいるからか、ステイ先での食事は大量生産しやすいパスタが多かった。ミートソースやジェノベーゼ、トマトバジル等、全てペロリと平らげ、片付けを手伝うという日々だった。

 

ある日、なかなか夕食のタイミングが合わないオーストリアポーランド人の留学生たちが、私の前で例のパスタを食べ始めた。語学学校では何をしているとか、自分の国について話をしながら、「これはグローバルなことしてるなぁ」と満足感に浸っていた時、彼女が私をじっと眺めていることに気がついた。すると「Squirrelみたいに食べるよね」と言う。聞いたことのない単語だ。綴りを教えてもらい、英和辞典を引いた。「食べ方がリスみたい」だった。日本で家族や友人に言われていたので、私の食べ方は国籍関係ないのか!と3人で泣くほど大笑いした。その日の食事は、いつもよりお腹に溜まったような気がした。サーモンのクリームパスタだった。

 

毎日おはようと顔を合わせ、コーンフレークを食べてから、サンドイッチとオレンジのセットをマザーからもらい外出する。そんな日本とは全く違う生活を続けてきて、遂に帰国が迫ってきた。出発前の明るい夜に、私は庭で子供たちと”だるまさんころんだ”で遊び、イタリア人留学生が食後のコーヒーを淹れているのどかな時間が流れていた。辺りはとても涼しく、長袖で十分なくらいだった。キッチンへ水を飲みにいこうとすると、「コーヒーいる?」と彼女が声をかけてくれた。コーヒーが苦手なので断ると、イタリア人が作るコーヒーはきっと好きになるわ、と言って丁寧に淹れ始めた。半信半疑ながら、淹れてもらっている間に色々な話をした。家族、恋人、仕事(彼女は心理学者だと言った)、人種としての誇り....。漢字で名前を書いて欲しいと言うので教え、自分で練習をしたりしていた。漢字を知らない人が書くとかなりいびつだったが、人種や文化を超えて、コーヒーの香りと共に温かい気持ちに包まれた。そして嘘ではなく、私は本当にコーヒーが好きになった。

 

それから10年後、思い立ってスペインのバルセロナへ一人旅をした。晴天続きの港町。湿度が低く快適なあまり、高台にある建物の塀の上で寝たりした。初めての街、自然、人、そして味である。宿泊先近くのコーヒーショップでテイクアウトすると、名前を聞かれたので答えた。自分と同い年くらいであろう若者が満面の笑みで「わかりやすくていい名前だね!」と言ってカップに書いてくれた。一人旅というと、バックバックでその土地の人々と交流しながらディープな体験をするという印象があるが、私の場合はまるで違った。ひとりで体験し、ひとりで感じ、考える。そして反芻し、ひっそりと、しかしグッと熱い気付きを得る。そんな旅にしたかったのだ。

 

またリスみたいに食べているように見えるのかと、テラス席でメニュー片手に思いふけりながら、道行く人々を眺めていた。 ふと、本場のパエリアが食べたくなった。スペインに来たのにスペインらしいものをまだ食べていないと思ったのだ。メニューには5、6種類ほどのパエリアが載っていて、半分ずつ違う味にすることができた。隣のファミリー席にパエリアが運ばれてくると、脳みそまで溶けそうな良い香りがしてくる。しかし高揚感も束の間、「2人前以上から注文できる」という表記が目に入った。嘘でしょう、海外サイズの2人前なんて食べられるわけがない!絶望感に浸りながら、食べきれなかった分を持ち帰りできるかどうか交渉することにした。結果的にそれは実現したのだが、「2人前以上」が目に入った時の寂しさといったら、忘れることができない。

 

今までひとりで冒険し、感動を味わいに行く機会がなかったために、「一緒に食べる人がいること」がどれだけ有難く幸せなことだろうかと気が付き、涙が出そうになった。美味しいねと言い合うこと。また食べたいと伝えること。人との感動で繋がることが、心もお腹も一層満たしてくれるのだ。イギリスでの記憶が蘇る。辛いことがあったり、不安がつきまとっていても、誰かと美味しく食べる思い出は鮮やかで温かい。自分やその人がどんな生い立ちだろうと。そうだ、帰ったら家族と友人、大切な人にこの話をしよう。あなたたちがいるから、私はとても幸せなのだと。

 

植物と私

 

植物の気持ちが分かるかもしれない、と自負していた時期があった。「直射日光は避けてください」と注意書きがあれば、日光の下で暑くて辛そうな様子を思い浮かべられる。照りつける太陽の下、日陰のない道を永遠に歩き続けなければならないような、最悪の気分だ。「乾燥したらここまで水を入れてください」とあれば、乾燥しているのを見つけた時、ああ、もの凄く喉が渇いているでしょうに!と申し訳ない気持ちになって、冷たい水を注いであげる。「...んめーっ!」という声が聞こえて来そうな気がするのだ。

 

幼い頃から植物が家にあったせいか、動物や魚を含めた何かしらの”生命”を肩に感じていないと落ち着かない性分に育っていった。そんな癖は私だけかもしれないが、とにかく、”生命”が同じ空間にあるというだけで安心感を得ることができるのだ。植物は文字通りの「植物」ではなく「生き物」であると認識しているから、気持ちを(勝手にだが)察してしまうのかもしれない。やがてそれは良いインテリア、良き相棒となる。

 

小学2年生の頃の担任の先生に、美しくて不思議な話を聞いた。因みにその先生は男性で、怒るとかなり怖かった。何の授業だったかは忘れたが、「花屋の外にある花と中にある花だったら、どっちの方が綺麗に見えるか?」という質問を生徒達に投げかけた。何人かは、太陽に当たるからとか、風が気持ちが良いからとか、小学校低学年らしい答えを出していた。先生はちょっと嬉しそうにこう言った。「惜しいけど、違うよ。外の花は毎日誰かに見てもらって、綺麗だなぁって思われてるからなんだよ。自分が花だったらその方が嬉しいよね?」。私は、そうか!と深く納得した。科学的に解明されているかどうかなんて関係なかった。子供としては、花と同じ気持ちになれば理解し易かったのかもしれない。

 

「植物にも気持ちがある」そんなことを教わったのは、九九を覚え始め、初恋の始まる可愛い少女時代だった。大人になった今でも、その考えと感覚は無意識のうちに染みついている。「心に想うこと」と「想いを行動で示すこと」は、植物に関係なく生きていく上で、結構大事なことなんじゃないかな、とふと気がついた。

 

 

大人の男性という幻想

 
かつて、壁ドンしてくるカッコいい先輩への憧れから始まり、次第に大人の男性に憧れた少女達は皆考えている。時間と共に。
 
「大人の男性」っていうのは最初から存在するのではなくて、他人と関わるの中での”態度”として生まれていくのだ。つまり、半分は私たちの出方次第といっても過言ではないかもしれない。
 
そして子供っぽい所というのは永遠に無くならない。母性を求める本能やワガママな言動が、”態度”としてその人の外に出るか否かが「大人の男性」を決める、というくらいなんじゃないでしょうか。
 
大人の女性だって同じで。子供っぽい所だらけな自分が嫌になる人、逆にそれが幾つになってもチャームポイントになってる人。どんな女性も皆、自分の中だけの問題じゃなくて、他人との関わりの中で気が付いていく。
 
みんな子供っぽい所はずっとある。なんなら、しょっちゅう不安で膝を抱えて泣いている私たちのもとへ、慰めてくれる「大人の男性」が来てくれたらどんなに心強いでしょうか。男性の競争社会の中で、よく出来たね〜っ褒めてくれる「大人の女性」が来てくれたらどんなに生き生きするでしょう。性別構わず「素敵な大人」が手を差し伸べてくれたらどれだけ感激することか。
 
お互いがお互いを求め与え合う何かは、愛や友情という言葉で表されるけれど、片側の「求める」エゴだけではバランスが崩れてしまうことが、ハッキリと分かる。貴方のために大人の女性が、君のために大人の男性が、いざという時にさりげなく出てくるって素敵。愛の中で気遣うって、きっとそういうこと。

大丈夫、愛だ

 

ドラマ「大丈夫、愛だ」に感銘を受けた。

 

「強者になるためにはどうしたらいい?」

「愛を与えているだけで十分だと感じること」

 

のような台詞にドキっとした。

 

愛は、誰しもが渇望しているけど、与えているだけという境地に至るには色々な葛藤や苦悩を経験する。

 

言いなりになってしまう、我慢してしまう、やってあげすぎてしまう。

全部が「愛だ」と錯覚してしまいそうになる。

 

愛がすべてを変えることができる。

そして大切なものを守ることができる。

 

愛を求める旅は、実は、愛を与える旅だと気がついた時、人は幸せを感じるの。

 

求めていても永遠に見つからない。

どんなに探しても落ちてない。

与えているつもりになっていて、

見つからないから愕然とし、絶望する。

それが孤独を感じるということ。

 

与える旅だと気がついた時、

ひとりじゃないと思える。

本当に強い人になれるって、そう思う。

 

いっそ忘れたいあなたを

 

あなたを愛しているという勘違いは

わたしを愛していないという証拠で

 

どんなに正当化しようとしても

自分ばかりが辛いような気がして

馬鹿じゃないのって、あなたを責める

 

そして不意に

いっそ居なくなってよと

突っぱねてしまいたくなる

 

好きの二文字には、愛なんてなかった

愛の一文字には、寂しさしかなかった

 

わたしとあなたを埋めて居たのは

まぎれもなく、孤独と渇望

 

どんなにあなたが優しくても

いつか途切れてしまうくらいなら

いっそ、知らないほうがいい

これ以上、触れないほうがいい

 

いつかわたしの棘に気がついて

あなたが刺されてしまわないように

 

それでも苦しいのは

やっぱり一人が怖いから

満足できない孤独が見えるから

 

だけど

そうやってわたしと向き合って

孤独を乗り越えていくの

 

あなたに全てを頼らない

わたしはわたしを愛して

不安の淵から立ち上がる

 

それまでは、あなたとの糸を緩ませて欲しい

そして今までよりも真っ直ぐに前だけを見て

思いっきり走ってく

 

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海外にいる大親友がとても辛い目に遭ってしまった。

サンドバッグでもあれば殴り散らしたであろうくらい腹が立ったと同時に、浮かんだものです。涙