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失ってからの精一杯のこと

 

仕事中に泣くという有様(仕事は関係なくて)。

 

やっと落ち着いたので書いてみました。

 

今でもまだ嘘みたいで、

エイプリルフールなんじゃないかって思ってる。

 

とてもお世話になった人の訃報が来た。

 

お昼に連絡があって、間髪入れず涙が出てきてよくわからなかった。

 

身体は反応しても、あまりにも現実味がなかった。

 

自分の身近には絶対に起こるはずもないと

、勝手にそんな風に生きてきたことが覆されたのだ。

 

一気に来る今までの思い出が、

それは全てとてつもなく鮮明で

声とか感触とか存在感とか含めて

8年ぶりくらいに思い出される記憶もあったりして

こんなに楽しい時間を過ごして

注意されて色々な困難から救ってもらって

こんなにも、こんなにも、

満ち足りた記憶に溢れてるんだって

気がついてしまってからもう駄目でした。

 

最後の方は、馬鹿野郎と心の中で叫んでいた。

 

「大切な人」は、

自分が思っている以上に深いところにいる。

 

「友人」とか「知り合い」とか括ってるけど

失って何にも抗えない辛さを感じる人のこと。

 

電車の中でも泣くのこらえて、

花粉症による涙目のふりをして

どうしたらいいんだろう?

どうするべきなんだろう?

って解決策を巡らしながらの1時間の帰路。

 

私にできることは、悲しみに暮れずに明るく過ごすことだ!

こんな風に考えても違和感があった。

明るくしている自分があまりにも嘘っぽくて

嘘っぽくしてる自分に罪悪感のようなものが見えたのだ。

 

でも、悲しいとウジウジしているのも嫌で。

悲しんでいるだけでは何も生まれないから。

 

そして悩んだ結果、今夜だけ、とことん哀しもうということにした。

 

心に蓋をすることは、

わたし自身にも、あの人にも失礼だ。

 

そして家に帰ってから、布団に変な体勢のまま倒れ込んでシクシク泣いた。

外は雨の音がよく聞こえた。

自分の涙を助長するように。

 

沢山の思い出を、じわじわと感じながら、ひとつひとつに声を掛ける。

 

汚くになりながら、最後は感謝しか出てこなくなった。

 

それでも悲しみと感謝がせめぎ合ってるせいで身体が収まらなくて、足がバタバタと動いていた。

 

これでもかって勢いで座り直して、

ぎゅっと手を握って、目をつむって

 

今までの人生で一番本気のお祈りを捧げた。

心の喉がちぎれるくらいに、何度も祈った。

 

これが、わたしにできる精一杯のことだった。

 

お世話になったことと思い出は、

あまりにも切なく残酷な形で

魂と共にずっと一緒に生き続ける。

 

そして、過ぎたことへ出来る力は何もない。

 

だから、恥のないようにしっかり暮らして生きたい。

 

祈るとは、人が出来る唯一の心の生だと。