〜 Like a journey 〜

旅するエッセイといろいろ

目の前のあなたに伝えたい

 

16歳の時、イギリスのケンブリッジという街に数週間滞在した。高校の短期留学プログラムに参加するためだ。

 

ラテン系イギリス人のホストファミリーに迎え入れてもらった。広々とした2階建ての家にはシャワールームが3つあり、他にもオーストリアポーランド、イタリアからの留学生がステイしていた。生まれて初めての海外渡航で時差ボケに見事にはまり、部屋に荷物を置いたままベッドの上で気絶するように寝てしまった。というのも、その辺りの記憶が全くないのだ。ホストマザーが起こしてくれた時には既に夜の19時を回っていて、イギリスの夏はこの時間でも昼間のように明るく、「夕食だ」と言われてもいまいちピンとこなない。

 

”イギリス料理は期待するな”とか、”ティータイムなんて高齢者しかしない”とか、日本を出る前に調べたら、食に関する情報は酷いものだった。確かにロンドンに着いてからすぐに訪れたレストランのケーキは、パイ生地の層に甘すぎるクリームとチョコソースがたっぷりと挟まれ、中には砕かれた飴が入っていて驚愕した。

 

そんなこともあって、ホストマザーが作る手料理にも少し警戒していたが、出てきたのはサーモンのクリームパスタ。パスタは太めで、柔らかいサーモンがふんだんに入っていてとても美味しく、味付けに問題はなかった。だだし、日本で食べる時の2倍近くいある量と大皿だという事実を除いて。

 

他の留学生たちと、3歳と6歳の子供達がいるからか、ステイ先での食事は大量生産しやすいパスタが多かった。ミートソースやジェノベーゼ、トマトバジル等、全てペロリと平らげ、片付けを手伝うという日々だった。

 

ある日、なかなか夕食のタイミングが合わないオーストリアポーランド人の留学生たちが、私の前で例のパスタを食べ始めた。語学学校では何をしているとか、自分の国について話をしながら、「これはグローバルなことしてるなぁ」と満足感に浸っていた時、彼女が私をじっと眺めていることに気がついた。すると「Squirrelみたいに食べるよね」と言う。聞いたことのない単語だ。綴りを教えてもらい、英和辞典を引いた。「食べ方がリスみたい」だった。日本で家族や友人に言われていたので、私の食べ方は国籍関係ないのか!と3人で泣くほど大笑いした。その日の食事は、いつもよりお腹に溜まったような気がした。サーモンのクリームパスタだった。

 

毎日おはようと顔を合わせ、コーンフレークを食べてから、サンドイッチとオレンジのセットをマザーからもらい外出する。そんな日本とは全く違う生活を続けてきて、遂に帰国が迫ってきた。出発前の明るい夜に、私は庭で子供たちと”だるまさんころんだ”で遊び、イタリア人留学生が食後のコーヒーを淹れているのどかな時間が流れていた。辺りはとても涼しく、長袖で十分なくらいだった。キッチンへ水を飲みにいこうとすると、「コーヒーいる?」と彼女が声をかけてくれた。コーヒーが苦手なので断ると、イタリア人が作るコーヒーはきっと好きになるわ、と言って丁寧に淹れ始めた。半信半疑ながら、淹れてもらっている間に色々な話をした。家族、恋人、仕事(彼女は心理学者だと言った)、人種としての誇り....。漢字で名前を書いて欲しいと言うので教え、自分で練習をしたりしていた。漢字を知らない人が書くとかなりいびつだったが、人種や文化を超えて、コーヒーの香りと共に温かい気持ちに包まれた。そして嘘ではなく、私は本当にコーヒーが好きになった。

 

それから10年後、思い立ってスペインのバルセロナへ一人旅をした。晴天続きの港町。湿度が低く快適なあまり、高台にある建物の塀の上で寝たりした。初めての街、自然、人、そして味である。宿泊先近くのコーヒーショップでテイクアウトすると、名前を聞かれたので答えた。自分と同い年くらいであろう若者が満面の笑みで「わかりやすくていい名前だね!」と言ってカップに書いてくれた。一人旅というと、バックバックでその土地の人々と交流しながらディープな体験をするという印象があるが、私の場合はまるで違った。ひとりで体験し、ひとりで感じ、考える。そして反芻し、ひっそりと、しかしグッと熱い気付きを得る。そんな旅にしたかったのだ。

 

またリスみたいに食べているように見えるのかと、テラス席でメニュー片手に思いふけりながら、道行く人々を眺めていた。 ふと、本場のパエリアが食べたくなった。スペインに来たのにスペインらしいものをまだ食べていないと思ったのだ。メニューには5、6種類ほどのパエリアが載っていて、半分ずつ違う味にすることができた。隣のファミリー席にパエリアが運ばれてくると、脳みそまで溶けそうな良い香りがしてくる。しかし高揚感も束の間、「2人前以上から注文できる」という表記が目に入った。嘘でしょう、海外サイズの2人前なんて食べられるわけがない!絶望感に浸りながら、食べきれなかった分を持ち帰りできるかどうか交渉することにした。結果的にそれは実現したのだが、「2人前以上」が目に入った時の寂しさといったら、忘れることができない。

 

今までひとりで冒険し、感動を味わいに行く機会がなかったために、「一緒に食べる人がいること」がどれだけ有難く幸せなことだろうかと気が付き、涙が出そうになった。美味しいねと言い合うこと。また食べたいと伝えること。人との感動で繋がることが、心もお腹も一層満たしてくれるのだ。イギリスでの記憶が蘇る。辛いことがあったり、不安がつきまとっていても、誰かと美味しく食べる思い出は鮮やかで温かい。自分やその人がどんな生い立ちだろうと。そうだ、帰ったら家族と友人、大切な人にこの話をしよう。あなたたちがいるから、私はとても幸せなのだと。