〜 Like a journey 〜

旅するエッセイといろいろ

若くても老いてしまう

 

先日知人の紹介で知り合った人が、「スマホを始めたんだ」と言って鞄に手を入れた。古そうな巾着袋からそっと出したそれは、確かにLGのスマホだった。

 

器用に画面を開き、指でちょんちょんとタップしている。クリーム色の薄手のジャンパーの両袖は、几帳面に三つ折りされていた。その日は小雨が降っていて、中で脱いでからでいいのにと思いながら、全体の上品さに嫌な感じは全くしなかった。

 

「悪いんだけどLINEの写真が見られないから教えて欲しい」と言われた知人は、こうやって開いて、画面を大きくするにはもう一度写真をタップするんですよ、と教えてあげた。

 

「そうか!名前を押さないといけないのか!では、この写真は指でもっと大きくできる?」

 

”ピンチインアウト”のことを言ってるのでしょう。

 

「わかった、なるほど〜有難う。では今一度復習してみたい。こうやって、こうだね。よし、もうできる。」

 

ふと見たら、この前よりLINEの友達が増えてた。息子に少しイジってもらったんだとか。へぇ、と感心していたら、「1人じゃ使い切らないからね」とお礼に小さいアリエールをくれた。

 

この人、あとになって分かったことで、90歳のお爺さんだったのです。

 

確かに見た目は明らかにお爺さんでも、買い物も自分でして自炊生活、PCでメールもしているしLINE使い始めたり飲み込みが早くてとても90歳には見えない。完全に70代後半くらいだった。

 

心の底から感心しながら祖母のことを想った。彼女は83歳なのに外出はヒール、顔筋マッサージも欠かさず美意識が高い。姿勢もまっすぐでスタスタと歩く。

 

「今度、若い人たちとお茶会することになったの」

 

どんな女子会なのか聞いたら、みんな70代前半らしい。

 って、若い人........!!!

 

83歳からしたら70歳はかなり若い人ですからね。それでも「女子会♩」と楽しそうに話す祖母を見ていると、見た目はお婆さんでも心と目の輝きは私と変わらないのではないか、とさえ思った。一応祖母なのに、会話の内容が友人みたいだった。きっと若い友人たちも心は若いままなのでしょう。

 

かのスマホお爺さんも、息子にLINEイジってもらったと言えど息子の年齢って....ちょっと!と、その人生の長さと時代の移ろいに驚愕。

 

そもそも自分の年齢を3倍しても足りない人生。

思春期に戦火をくぐり抜け、TVも無い時代から、

自分の年齢を2倍にしても届かない息子と

親子でスマホを使う時代。

 

ボケ防止でね、と言って恥ずかしそうに聞く訳でもなく、ただ少年のように聞いて、出来たら喜ぶ、それだけでした。

 

「もう私には無理だ」「年寄りだから」と言って新しいものに取り付かない気持ちが本当の老いなのではないか。何歳になっても新しく挑戦し、失敗、成功、学びに貪欲なのが本当の若さなのではないか。

 

気にかけるのは健康年齢でいいと分かりながらも、心の奥底で年齢を気にしている私たちでありますが、若々しい80、90代と話していると自分はまだ生まれたてのヒヨっこのような気がしてなりません。

 

 

傷付くのが怖くて好きだと言えないのなら

 

よく飲みに行く仲良しの女友達から悲報が届いた。

 

それは、好きな人が仕事の事情で遠く離れた場所へ行ってしまうんだって。予想はしていたけど、いざ決まったら電車内で泣いてしまったそうな。

 

私も彼のことは知ってる。片想いで離れてしまうことが、どれだけ心臓がぎゅうっと締め付けられることでしょう。

 

伝えたくても傷付くのが怖くて

だから何も伝えられずに、

そのまま離れてしまうのか

本当にそれでいいのか

だけど怖い、惨めな自分。

 

好きですと言ってしまいたい気持ちと

傷付くかもしれないという気持ちが

誰に相談したらいいのか分からずに

グラグラと揺れて、

手紙さえ書いてみてもきっと

苦しさがが募るだけ。

切ない涙が増えるだけ。

 

本当は相談なんて、しても解決しない。

決めるのは自分だからね。

 

だけど、泣きたい時は

好きなだけ泣いてしまえばいいの。

馬鹿野郎って言ってやればいいの。

毎日、公共の場で泣いたっていい。

苦しむこと悲しむことを許してあげる。

 

遠く離れてしまうけど

会いに行くことはできる。

伝えに行くこともできる。

もう会うことも伝えることもできない人と比べたら、いいじゃないって。

 

会うこともできない

伝えることもできない

残るのは思い出だけ。

それに比べたら、とんでもなく幸せじゃないって。

 

もう会うことも伝えることもできないのが、どれだけ苦しいことか知ってしまう前に、どこかにいるというだけでも救われる。

 

そっとしておいたままで離れて

もしそんな風に会えなくなっても未練が無いなら、

もう知らない他人になってしまってもいいと思う。

 

それが嫌なら、

会えるうちに会って

伝えられるうちに伝えなきゃね。

 

子供と大人の刹那

もう戻れないかもしれない

戻る気もしない

 

だけどもう一度戻ったなら

わたしは何をしたでしょう

 

後悔は恥

未練は負けよ、と思いながら

過去のわたしは少し悲しい顔をしてる

そんな気がする

 

可愛らしい姿に

柔らかく艶めく髪

全身からほとばしる生命力に

怖もの知らずな小さい子供

 

どうして悲しい顔をしているのと

隣に座って聴いてみる

 

本当は怖い

一人になってしまうのが

怖がっていると誰も振り向いてくれない

だから平気なふりをしているの

自分でも気が付かないように

いつも走り回ってるんだよ、

膝を抱えてそんな風に言う

 

とても、

とても美しく透明な水分でできた身体

シャボン玉みたいに

触れそうで壊れやすい何か

風に吹かれたらどこへ行ってしまうのか

美しさとは儚いものの

ひとつだけで、その場に留まる力が欲しい

だから

それをそっと包んであげる

 

きみは

おまえは

あなたは

もう一人じゃない

数十年後のわたしが声をかける

 

目の前にはもういないけれど

消えてしまったわけじゃない

わたしの中に、いつまでも

 

 

 

少女へ

だれにも会えない

だれにも言えない

自分だけが悩んでる。

 

彼女は全てが上手く行ってそうで

祝福しながらどこか、

ぎこちないわたしがいる。

 

知らない所で苦労してるかもしれないし

なんて 考えたって

わたしに、彼女の苦労は分からないし

彼女にも、わたしを引きずる泥は見えるまい。

 

分かって欲しいと思わないけど

じゃあどこにぶつけたらいいの?って

ひとりで悩んで

もう腰まで浸かってる。

 

つかまるものを探しては

触れた瞬間無くなっていく。

この泥沼みたいに鈍くて重い自分は

なんの役に立つの?って

聞いても答えは

大人になる自分しか知らない。

 

子供なんて

早くやめてしまいたい

叶えたくても

願っていても

理解していても

どうして上手くいかないの

 

たくさんの痛み苦しみを

感じて 感じて

感じ抜いて、

あなたはここにいる。

 

わたしは知ってるよ。

悩むほどに

全てに対して繊細なひとで

心が優しいのだということを。

 

だから

いまは苦しくていいの。

大丈夫だよ

わたしはあなたをずっと見守る。

大人になるまで

一緒に歩いていこう。

恋とわがまま

もっと近づきたい。

だけど

まだ離れていたい。

心臓の音が聞こえたら

バレちゃうから。

 

ずっと見ていたい。

だけど

そんなに私を見ないでよね。

恥ずかしくて

どうしたらいいのか 分からなくなっちゃうから。

 

あなたという存在を手に入れたい。

だけど

それより先に 手に入れて欲しい。

あなたしか知らない、

特別な私を。

別れを美しいと呼ぶのは

どうして「ありがとう」って

嘘をつけるんだろう。

どうして「ごめんなさい」って

思ってないのに言うんだろう。

 

いつから「好き」が

喉でつかえてしまったんだろう。

 

プラスチックの板に言葉を書いて、

渡して、そののまま下がって

知らんぷりしてる。

 

中身はないけど

汚れがなくて

それっぽく、ご立派なものだから

お互い満足できたと思ってる。

 

だけど

後で虚しくなるのはどうして。

言葉がこんなにも安く使えるなんて

「嫌い」と言ってしまうより、汚い。

 

相手を傷つけないフリして

見えない酸で溶かしてる。

わたしの喉と、あなたの胸を。

 

好きとか嫌いとか

子供の頃のほうが言えたよね。

砂を投げつけならがら、

大嫌いだと泣き叫んだ。

それがすべて正義なのだと

全身で感じてた純粋のかたまり。

 

「さようなら」

耳元で通り過ぎていって

自然に過去と現実が身体に馴染んでいくのが

きっと正義なのかもしれないって

思うようにしてるわたしは、

別に大人になったんじゃなくて

ただただ 怖いものが増えただけ。

 

ひとはそれを刹那と呼んだりするけど

形が見えないからこそ

怖く、深く、繊細に、身体のどこかに残り続ける。

 

美しくありたい。

そんなものさえ、

愛おしいと想うひとになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

このブロクを作成した理由

 

理由は主に3つあります。

 

椅子に座ってネチネチと何かを積み上げるのが好きな私としては、好き勝手に脳内の文章を、しかもeverytime & everywhere書き溜めることができるというのは、超快適だからです。

   

もともと小さい頃から物語や詩を書くのが好きで、文章力はそんなにありませんが、とにかくただ楽しい。日常のリアルな目線で、ふにゃふにゃと書いていきたいからです。

 

※プロではありませんが、個人作品として、内容の盗用はおやめください

最後に、それを公にすることで、少し背筋をピンと伸ばせるからです。丁寧に書こうという気になる。以上!