〜 Like a journey 〜

旅するエッセイといろいろ

大人の男性という幻想

 
かつて、壁ドンしてくるカッコいい先輩への憧れから始まり、次第に大人の男性に憧れた少女達は皆考えている。時間と共に。
 
「大人の男性」っていうのは最初から存在するのではなくて、他人と関わるの中での”態度”として生まれていくのだ。つまり、半分は私たちの出方次第といっても過言ではないかもしれない。
 
そして子供っぽい所というのは永遠に無くならない。母性を求める本能やワガママな言動が、”態度”としてその人の外に出るか否かが「大人の男性」を決める、というくらいなんじゃないでしょうか。
 
大人の女性だって同じで。子供っぽい所だらけな自分が嫌になる人、逆にそれが幾つになってもチャームポイントになってる人。どんな女性も皆、自分の中だけの問題じゃなくて、他人との関わりの中で気が付いていく。
 
みんな子供っぽい所はずっとある。なんなら、しょっちゅう不安で膝を抱えて泣いている私たちのもとへ、慰めてくれる「大人の男性」が来てくれたらどんなに心強いでしょうか。男性の競争社会の中で、よく出来たね〜っ褒めてくれる「大人の女性」が来てくれたらどんなに生き生きするでしょう。性別構わず「素敵な大人」が手を差し伸べてくれたらどれだけ感激することか。
 
お互いがお互いを求め与え合う何かは、愛や友情という言葉で表されるけれど、片側の「求める」エゴだけではバランスが崩れてしまうことが、ハッキリと分かる。貴方のために大人の女性が、君のために大人の男性が、いざという時にさりげなく出てくるって素敵。愛の中で気遣うって、きっとそういうこと。